こんにちは。

FUMIFUMIです。

今回もご覧になってくださって、ありがとうございます!

 

数年前を思い出しました。

実は、私、主人のある何気ない言葉で、自殺しようとして未遂に終わった頃があるんです。

そのきっかけになった類似の言葉を、先ほど主人に言われました。

本人は、きっと何とも思ってなくて発した言霊かもしれませんが、

私は、もう一度最悪のことを考えてしまいました。

でも、私の人生は、私の人生。

誰にも左右されない。

旦那のことは愛してる。でも、その言葉を発する旦那は嫌い。

自立しよう。私を守るために。

 

「うつ病」が追加された時の話をしましょう。

こんにちは。

FUMIFUMIです。

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昨日の雨で、空気中の花粉やごみが落ちたのか、今日は、空の青さも綺麗だし、遠くの山まで綺麗に見えて気持ち良いです。

桜も綺麗に咲いていて、昨日の雨の影響は少なかったようです。

 

でわ、これまでの日々をつらつら~と書いていきましょう。

今は、こんなPCに向かったり、音楽聞いたり、テレビ見たりしてますが、自分が「不安障害」と診断されたあたりは、何て言ったらいいんだろ・・・本当に何も興味が持てないというか、何かに迫られている恐怖と不安と辛さと苦しさで、頭の中はいっぱいいっぱいだったので、それ以外を受けつける余裕がなかったです。

まぁ、良くある話ですが、いざ、自分の身に降りかかると、本当に恐ろしいです。

以前は、超テレビっ子で、朝起きたらカーテン開ける前にテレビをつけるくらいの人間でした。とにかく、寝るまでテレビを見てるくらいの人間だったんです。そんな人間だったのに、気が付けば、ぜんぜんテレビを見てないって日が続いてました。

運転中もガンガン音楽聞くタイプだったのですが、無意識に無音で運転してました。たぶん音が怖かったんだと思います。

それに気が付いたときは、本当にびっくりしたし、

 「私、やっぱり病気なんだ」

と感じました。

 「今までも私とは違うんだ」

と気が付きました。

気が付いた瞬間、その時以上に落ち込みました。

 「やっぱり駄目な人間なんだ」

 「生きてても仕方ない」

 「生きていたくない」

ただでさえ、頭の中がいっぱいなのに、こういう感情も押し込まれ、もう何をしたらいいのかわからなくなた結果・・・

自分を傷つけるようになりました。

でも、はっきり言って、その時の記憶は無いんです。次の日起きると、体の色んな所にアザができてたりして気が付くんです。でも、何をしたのか、本当に記憶がないんです。自分の身に何が起こっているのか、わからなくて、本当に怖かったです。

次の診察の際に、そのことについて聞いたら、

 「不安障害になった人が良く併用して発症することがあるんだけど、うつ病も発症しているね」

と診断され、私の病気に「うつ病」というものが追加されました。

 

以上、私の病気に「うつ病」が追加されたときの話でした。

怖いことばかり書いてるかもしれませんが、同じ境遇の人がいたら、これを見て、

 「自分一人じゃないんだ、一人じゃなかったんだ」

って思ってもらえたら嬉しいです。

文字を読む事すら辛いことだから、ここまで読んでくれて、何かを感じてもらえたら嬉しいな。

 

最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。

次回も読んでいただけるとうれしいです。

好みって・・・

こんにちは。

FUMIFUMIです。

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今日、何気なきゅ・・・あ、噛んだ

何気なく作った、キノコピラフ。

自分的には、自信作だったんだけど。

主人と娘には、ブリの照り焼きのほうが、飯が進めたみたいです。

 

人間の好みって、わからないっすね。

病院の予約をとれた時の話をしましょう。

こんにちは。

FUMIFUMIです。

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色んな所で桜が咲き始めたと思ったら、雨ですね。

こういう日は、ちょっと気持ちが落ち込みますね。

 

でわ、だいぶ伸ばし伸ばしになってましたが、病院の予約をとれた時の話をしましょう。

まず、精神科って意外とたくさんあるけど、まぁ~ず予約が取れない!!

 「最短ですと・・・3週間後とかになります」

とか、ざらにあった。

 「今すぐにでも行きたいのに、嘘だろぉぉぉ・・・」

って思いながら、ネットで探したり、直接電話したり。

完全予約制のところも多いし、新規受付を保留している病院もあった。

たまたま、今通院している病院に電話したら、運よく次の日のキャンセルが出たので、そこに入れてもらえるとのこと。でも、予約時間が朝9時・・・この時期の私は、朝9時に起きることなんて不可能に近かったから、一瞬迷ったけど、これを逃したら行けなくなるんじゃないかと思って、予約を入れてもらった。

前日は、変な緊張感で落ち着かなかった。案の定、寝れなかったし。そんなどん底の状態で、何とか予約時間までに病院へ到着。一番最初の患者だったらしく、待合室には誰もいなかったけど、一番後ろの隅っこに座った。後ろに人がいるのが怖かったから。

 

意外とすぐ名前を呼ばれ、看護師さん?カウンセラーさん?と面談が始まった。物腰柔らかく、口調も穏やかで、とても話しやすかった。

 旦那のうつ病のこと

 娘の不登校のこと

 会社でのプレッシャーやストレスのこと・・・など

色々話しを聞いてくれた。それが看護師さんの仕事だろ?って思う人もいるかもしれないけど、今まで誰にも言えなかったことを、初めて人に話せた。嬉しかった。ただただ「うん。うん。」って聞いてくれるのが、どんだけ嬉しかったか。一通り話して、次は面談の内容を見て、先生を含めて診察があった。

先生が一番最初に発した言葉が

 「辛かったね」

それを聞いた瞬間、涙が出てきて止まらなくて、ずっと泣いてた。

 「ご家族のことも心配するのは仕方ないけど、まずあなたが元気になることを一番に考えて、一緒に治療していこうね」

自分のことを一番に・・・考えたこともなかった。

 「どうにかして家族を元気にしないと!」

 「わたしが何とかしないいと!」

って一人で踏ん張ってた。

 「あなたが元気になると、まわりも元気になっていくから」

そういわれて、自分の事も考えてみようと思った。

自分の今の状態に病名がつけられて、治療法もあると分かった時、凄く安心した。

 「不安障害」

漠然と辛くて怖くて不安で苦しんでたけど、この病気のせいだったんだって思うと、ちょっとだけ不安が和らいだ。

 「今は辛いけど、きっと良くなるから、一緒に病気と向かい合っていきましょう。今は、とにかく温かくして休むこと、それだけ考えて、二週間後、また会いましょうね」

もう泣きじゃくっていたから、頷くことしかできなかったけど、「また会いましょうね」って言葉が、凄くうれしかった。まだまだ出口は見えないけど、いままで真っ暗だった道を歩き出そうとしてる自分の足元が見えた気がした。

 

てなかんじで、運よく病院が見つかり、診察してもらった時の話でした。

現在もこの病院に通院してます。ちなみに、今日、通院日でした。

たまたたお医者さん看護師さんとの相性が良かったので、今まで通院できていると思います。

私のように、苦しんでいる人がいいるなら、是非誰かに頼ってください!!勇気がいることですが、自分はそんなんじゃないって信じたくないかもしれませんが、助けてくれる人が必ず現れるはずです。

 

これからは、自分の病気と向かい合って過ごしている日々の話を、つらつら~と書いていこうと思います。

 

最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。

次回も読んでいただけるとうれしいです。

 

 

 

 

ストレス。

こんにちは。

FUMIFUMIです。

 

今日は。。。

そうだ!主人の車を、今日で二回目の運転をしました。

車高が低い車が苦手なので、超緊張して運転しました。

ハンドルを十時十分でギチギチに握りながらの運転。

13時~15時までの運転。

何とか、家まで辿り着きました。

超緊張したらしく、16時くらいに急に眠気が・・・

気持ちよく寝れました。

ある程度のストレスって、大切なんですね。

これだけは信じて。

こんばんわ。

FUMIFUMIです。

 

ちょっと前??の話です。

マジでこれを考えたました。

死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい

 

死んだら楽になるかわからないけど、もう生きたくないという思いが強かった時がありました。

でも、人間ってそんなに簡単に死ねるもんじゃないらしい。

癌とか自分から望まい死に関して、生きたいのに・・・。

こういう人たちに対しては申し訳ない感じですが。本当に申し訳ない。

でも実際死ねなかった。

生き残ってしまった。

だったら、何をしたらいい??

何ができる??

わからん。

でも、生きてるってことは、こういう状態人を一人でも分かち合える手段としてこれを書いてます。

生きて。生きて。生きてるだけで素晴らしい。

何もできなくて苦しんだり、悩んでる人もいると思う。

でも、生きて。

生きるってことは素晴らしい事なんだ。

それだけは信じて。

やっと病院の予約が取れた話をする前に・・・(続)

こんにちは。

FUMIFUMIです。

今回もご覧になってくださって、ありがとうございます!

 

久々に散歩に出かけたら、つくしを発見しました。

日頃の移動と言えば、車移動が大半なので、こういう発見って貴重なんです。

人と会うのが怖いので、ほぼ下を向いて歩いていたのですが、下を向いて歩いていても、良いことがあるんですね。

 

でわ。本題の話をしましょう。

今回は、私の娘についてと、その時の私についてを話していきます。

私には、今年高校を卒業した娘がいます。

高校3年生の春、ちょっとずつ学校を休むようになりました。もともと頭痛もちだったので、鎮痛剤を飲んで一日経てば復活してました。しかし、だいぶ休みがちになり、ここまで続くと何かの病気なのではないかと不安になり、病院に行ったのですが、異常なし。原因がわからないまま月日が経ち、高校3年生の夏休み前に、担任の先生から電話が来ました。

  「〇〇さん(娘の名前)、トイレで、泣いてたんですが・・・」

一瞬理解ができなくて、頭が真っ白になりました。

  「本人は、意味が分からず涙が出てきたと言ってました。」

  「学校でいじめられていたり、嫌がらせは受けてないと言ってました。」

  「何か心当たりありますか?」

と聞かれました。もともと娘は学校であったことを自ら話すタイプではなく、こっちが質問すれば答えるし、何か問題があった時はに話してくれました。

家に戻ってから二人で話をしようと、夕食後、娘の部屋に行き、担任の先生から連絡がきたことを説明し、何でもいいから話してほしいと言いました。しかし、

  「何で泣いたのか、自分でもよくわからない」

という答えが返ってきました。いろいろと難しい時期なので、あまり根掘り葉掘り聞かず、何かあったら話してねくらいで話は終わりました。

それから数日間は普通に登校していたのですが、ある日の朝、家を出る時間になっても部屋から娘が出てこなかったんです。様子を見に行くと、ベットの上で声を殺して泣いていました。私の声と姿がわかると、娘は大声で泣き始めました。私は何をしたらいいのか分からず、とりあえず娘が泣き終わるまで背中をさすってました。その日は学校を休んで、私も仕事を休み、娘の様子を伺っていました。たまに部屋に様子を見に行くと、廃人のような顔でベットに寝ている娘がいました。声をかけるのも躊躇してしまうくらいでした・・・

それから、だんだん学校に行けなくなって、夏休みの講習にも数回出席したのかな?夏休み明けに一週間は登校できたのですが、それ以降完璧に学校に行けなくなりました。毎朝泣いているか、廃人のように寝ているかでした。こうも理由もわからず毎日泣かれたり、不機嫌な顔を見たりしていると、さすがにこっちも限界が来ますよね。もう、心配より怒りの方が増してきてしまって、でも娘には当たれないので、家にあるクッションというクッションを思いっきり床に投げつけました。何度も何度も投げつけて、でも全然治まらなくて、通勤時、車のスピーカーが割れるんじゃないかと思うくらいの大音量で運転してました。(ルール上、やってはいけない行為なんですが。すみません)会社に行けば、その当時、ありがたいほど忙しかったので、気は紛れてました。思い出すと腹が立つので。

そんなある日、担任の先生からのアドバイスで、スクールカウンセラーを受けてみては?というお話をいただき、すぐ予約を取ってもらうようにお願いしたのですが、娘のように悩める子が沢山いて、やっととってもらえたのは2週間後でした。娘もカウンセリングを受けることを承諾してくれたので、当日二人でカウンセリングを受けました。

カウンセリングで分かったことは、3年生になった途端、3年生全体がこの学校特有の大学受験モードに入って、娘はそのモードになかなか切り替えられず、置いて行かれていると感じたそうです。学校以外でも、高校に入った時から、大学受験のプレッシャーは、かなり掛けられていたので(親戚等々)、相当参っていたと思います。私ができる限りで守ってはいたのですが、守り切れなかったようです。

それと、女の子の特有の周期が重なって、どんどん悪いほうへ転がって行ってしまったのが原因の一つだったそうです。原因が分かったので、これで娘も復活できると期待したのですが、一向に良くならず、そのまま学校に行けなくなりました。いわゆる、

  「不登校

というやつです。

私はそれをなかなか受け入れられませんでした。まさかうちの子が・・・と毎日苦しみました。相談する相手もいないし、っていうか、こんなこと相談したくないし。

親として何をしてあげるのが正解なのか、娘にとって良い事なのか、手探り状態で色々試しました。その結果、婦人科に行って薬をもらうのと、精神科に通院して薬をもらうのが一番娘にはあっていたようです。ありがたく、どちらの先生も女性の方で、とても話しやすく、威圧的な態度ではないので、娘にあっていたんだと思います。

一難去ってまた一難。今度は高校を卒業するための単位の問題が浮上してきました。学校に行けないのにどうやって・・・と思いましたが、一日中授業をうけるわけではなく、その足りない教科の時間だけ学校に行くということでした。

初めのころは、一緒に学校へ行き、事務室で挨拶をし、保健室に連れていき、授業がおかっわたら一緒に帰るの繰り返しでした。娘は自分の教室に行くのが怖かったようで、最初のころは泣きながら帰ってきたりしてましたが、担当の先生方がいろいろ工夫してくださって、何とか教室で授業を受けられるようにしてくれました。本当にありがたい限りです。徐々に慣れてきて、車での送り迎えは変わらないのですが、一人で学校へ入れるようになりました。それでなんとか単位を取得し、高校を卒業できました。

残念ながら卒業式には参加できなかったのですが、卒業式終了後、学校へ行き、無事娘は卒業証書をもらえました。その時、学年主任の先生が、娘のためだけに卒業証書を読み上げてくださり、感動と先生方への感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

現在の娘はというと、治療を続けながら一生懸命生きてます。他の親や親戚、主人からすれば、「甘やかしすぎ」と思われるかもしれませんが、生きてるだけで十分です。

今は、一緒に笑ったり、一緒に買い物行ったり、夕ご飯作ってくれたり、そんなことを娘とやれるだけで幸せです。主人がいると部屋籠りがちですが、私と二人の時はリビングのソファーで過ごすことが多くなっているような気がします。別に何をするわけではなく、お互いがお互いのやりたいことをやっているだけなのですが、同じ空間にいるってだけで幸せです。

 

以上、私の娘についてと、その時の私についてでした。

次回は、やっと病院の予約が取れた話をしましょう。

 

最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。

次回も読んでいただけるとうれしいです。