やっと病院の予約が取れた話をする前に・・・(続)

こんにちは。

FUMIFUMIです。

今回もご覧になってくださって、ありがとうございます!

 

久々に散歩に出かけたら、つくしを発見しました。

日頃の移動と言えば、車移動が大半なので、こういう発見って貴重なんです。

人と会うのが怖いので、ほぼ下を向いて歩いていたのですが、下を向いて歩いていても、良いことがあるんですね。

 

でわ。本題の話をしましょう。

今回は、私の娘についてと、その時の私についてを話していきます。

私には、今年高校を卒業した娘がいます。

高校3年生の春、ちょっとずつ学校を休むようになりました。もともと頭痛もちだったので、鎮痛剤を飲んで一日経てば復活してました。しかし、だいぶ休みがちになり、ここまで続くと何かの病気なのではないかと不安になり、病院に行ったのですが、異常なし。原因がわからないまま月日が経ち、高校3年生の夏休み前に、担任の先生から電話が来ました。

  「〇〇さん(娘の名前)、トイレで、泣いてたんですが・・・」

一瞬理解ができなくて、頭が真っ白になりました。

  「本人は、意味が分からず涙が出てきたと言ってました。」

  「学校でいじめられていたり、嫌がらせは受けてないと言ってました。」

  「何か心当たりありますか?」

と聞かれました。もともと娘は学校であったことを自ら話すタイプではなく、こっちが質問すれば答えるし、何か問題があった時はに話してくれました。

家に戻ってから二人で話をしようと、夕食後、娘の部屋に行き、担任の先生から連絡がきたことを説明し、何でもいいから話してほしいと言いました。しかし、

  「何で泣いたのか、自分でもよくわからない」

という答えが返ってきました。いろいろと難しい時期なので、あまり根掘り葉掘り聞かず、何かあったら話してねくらいで話は終わりました。

それから数日間は普通に登校していたのですが、ある日の朝、家を出る時間になっても部屋から娘が出てこなかったんです。様子を見に行くと、ベットの上で声を殺して泣いていました。私の声と姿がわかると、娘は大声で泣き始めました。私は何をしたらいいのか分からず、とりあえず娘が泣き終わるまで背中をさすってました。その日は学校を休んで、私も仕事を休み、娘の様子を伺っていました。たまに部屋に様子を見に行くと、廃人のような顔でベットに寝ている娘がいました。声をかけるのも躊躇してしまうくらいでした・・・

それから、だんだん学校に行けなくなって、夏休みの講習にも数回出席したのかな?夏休み明けに一週間は登校できたのですが、それ以降完璧に学校に行けなくなりました。毎朝泣いているか、廃人のように寝ているかでした。こうも理由もわからず毎日泣かれたり、不機嫌な顔を見たりしていると、さすがにこっちも限界が来ますよね。もう、心配より怒りの方が増してきてしまって、でも娘には当たれないので、家にあるクッションというクッションを思いっきり床に投げつけました。何度も何度も投げつけて、でも全然治まらなくて、通勤時、車のスピーカーが割れるんじゃないかと思うくらいの大音量で運転してました。(ルール上、やってはいけない行為なんですが。すみません)会社に行けば、その当時、ありがたいほど忙しかったので、気は紛れてました。思い出すと腹が立つので。

そんなある日、担任の先生からのアドバイスで、スクールカウンセラーを受けてみては?というお話をいただき、すぐ予約を取ってもらうようにお願いしたのですが、娘のように悩める子が沢山いて、やっととってもらえたのは2週間後でした。娘もカウンセリングを受けることを承諾してくれたので、当日二人でカウンセリングを受けました。

カウンセリングで分かったことは、3年生になった途端、3年生全体がこの学校特有の大学受験モードに入って、娘はそのモードになかなか切り替えられず、置いて行かれていると感じたそうです。学校以外でも、高校に入った時から、大学受験のプレッシャーは、かなり掛けられていたので(親戚等々)、相当参っていたと思います。私ができる限りで守ってはいたのですが、守り切れなかったようです。

それと、女の子の特有の周期が重なって、どんどん悪いほうへ転がって行ってしまったのが原因の一つだったそうです。原因が分かったので、これで娘も復活できると期待したのですが、一向に良くならず、そのまま学校に行けなくなりました。いわゆる、

  「不登校

というやつです。

私はそれをなかなか受け入れられませんでした。まさかうちの子が・・・と毎日苦しみました。相談する相手もいないし、っていうか、こんなこと相談したくないし。

親として何をしてあげるのが正解なのか、娘にとって良い事なのか、手探り状態で色々試しました。その結果、婦人科に行って薬をもらうのと、精神科に通院して薬をもらうのが一番娘にはあっていたようです。ありがたく、どちらの先生も女性の方で、とても話しやすく、威圧的な態度ではないので、娘にあっていたんだと思います。

一難去ってまた一難。今度は高校を卒業するための単位の問題が浮上してきました。学校に行けないのにどうやって・・・と思いましたが、一日中授業をうけるわけではなく、その足りない教科の時間だけ学校に行くということでした。

初めのころは、一緒に学校へ行き、事務室で挨拶をし、保健室に連れていき、授業がおかっわたら一緒に帰るの繰り返しでした。娘は自分の教室に行くのが怖かったようで、最初のころは泣きながら帰ってきたりしてましたが、担当の先生方がいろいろ工夫してくださって、何とか教室で授業を受けられるようにしてくれました。本当にありがたい限りです。徐々に慣れてきて、車での送り迎えは変わらないのですが、一人で学校へ入れるようになりました。それでなんとか単位を取得し、高校を卒業できました。

残念ながら卒業式には参加できなかったのですが、卒業式終了後、学校へ行き、無事娘は卒業証書をもらえました。その時、学年主任の先生が、娘のためだけに卒業証書を読み上げてくださり、感動と先生方への感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

現在の娘はというと、治療を続けながら一生懸命生きてます。他の親や親戚、主人からすれば、「甘やかしすぎ」と思われるかもしれませんが、生きてるだけで十分です。

今は、一緒に笑ったり、一緒に買い物行ったり、夕ご飯作ってくれたり、そんなことを娘とやれるだけで幸せです。主人がいると部屋籠りがちですが、私と二人の時はリビングのソファーで過ごすことが多くなっているような気がします。別に何をするわけではなく、お互いがお互いのやりたいことをやっているだけなのですが、同じ空間にいるってだけで幸せです。

 

以上、私の娘についてと、その時の私についてでした。

次回は、やっと病院の予約が取れた話をしましょう。

 

最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。

次回も読んでいただけるとうれしいです。